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=歌舞伎の「外郎売」解説とみどころ=  
   (「曽我もの」について)  



「歌舞伎十八番」にも入るこのお芝居、
とはいえ「十八番」というのは、主に初期の江戸歌舞伎の人気演目を集めたものです。
プリミティブかつアルカイックな江戸荒事歌舞伎、ストーリーというほどのものはありません。
総じて「江戸荒事名場面集」というオモムキですよ。
実際のお芝居には、この「十八番」の演目の「趣向」がもっと長いストーリーの一部として取り込まれて演出されることが多かったのです。
この「外郎売」も、外郎売りのセリフの言いたてが見どころであって、これといったストーリーがあるわけではありません。
とはいえ、これは大事なのですが、「曽我もの」という江戸歌舞伎に特徴的な一ジャンルにこのお芝居は入っております。
登場人物も「曽我もの」に即しております。
というわけで「曽我もの」の基本設定がわからないと「外郎売」のお芝居は「なんじゃらほい」になってしまいます。

なので「曽我もの」について説明。

・素材となった史実

発端は平安末期、鎌倉幕府ができるちょっと前のことでした。
伊豆、伊東のあたりが舞台です。都のほうは平家滅亡の寸前でおおさわぎですが、東のこのへんは新興の大名たちが勢いを得て、ノリノリの時代です。
で、このへんを支配していたのが工藤祐経(くどう すけつね)。
さて、この工藤祐経、領地争いが原因で、配下の(ていうか従弟の)伊東祐親(いとう すけちか)、祐泰(すけやす)親子を襲撃、息子の祐泰を殺します。
ていうか乱暴だなあ。当時の東国武者は本当に乱暴ですよ。
で、この殺された伊東祐泰さん、またの名を河津三郎祐泰(かわづさぶろう すけやす)さんといいます、こっちの名前が有名。
お相撲の決まり手「河津がけ」の考案者ですよ。

あと、このへん一般には俣野五郎ってヒト(「石切梶原」に出てくる乱暴なおにいさん)が河津三郎さんに相撲で負けて恥をかき、その遺恨で殺した、
と見せかけてじつは工藤が最近目障りな河津五郎を葬るべく裏で糸を引いていた、というハナシになっています。
河津三郎さんが主役の「鴛鴦襖恋睦 おしのふすま こいのむつごと」って所作(踊りですね)があります。
これはそのお相撲の場面を題材にしていますよ。

さて、本題よ。
殺された河津三郎さんにはふたりの息子がいました。
一万(いちまん)くん5さい、箱王(はこおう)くん3さい。
ふたりは母親と共に相模の国の曽我(千葉の蘇我ではないよ)の豪族、曽我太郎祐信にあずけられて成人し、養父の名字を名乗って
曽我十郎祐成 そがのじゅうろう すけなり(兄)=曽我十郎
曽我五郎時致 そがのごろう ときむね(弟)=曽我五郎
と名乗ります。
ああやっと「曽我もの」らしくなってきた。

というわけでおとうさんを殺されてから17年、ときは鎌倉、1993年5月(旧暦だから6月ごろ)、
鎌倉幕府ができた翌年です。
場所は富士山のすそ野。
工藤祐経は頼朝の命を受けて富士のすそ野での大巻狩という一大イベントの総奉行としていろいろ手配をしました(頼朝はとても狩り好き)。
狩りは大成功、みなさん満足してそれぞれの宿舎で眠りますよ。
そこに忍び込む曾我兄弟、
で兄弟は、工藤を殺し、父の敵を討ったのです。

このできごとは中世のヒトビトのココロを強く打ち、「曽我物語」という読み物が作られました。
河津三郎が殺されるまで、兄弟が苦労して育つ様子、家来たちの忠義、工藤との対面、富士のすそ野での本懐達成、
そして時の執政者源頼朝の裁きによって五郎が処刑される(十郎は討ち死に)までです。
これを素材にして歌舞伎の「曽我もの」というジャンルが生まれます。

・お芝居になった「曽我もの」
というわけで史実を、というか「曽我ものがたり」を題材として、いろいろお芝居が作られました。
幼い兄弟が艱難辛苦の末にりっぱに成長してがんばって敵討ち、
兄(十郎)は冷静沈着で優美な知性派、和事のキャラクター。弟(五郎)は荒々しい武闘派。
でもってどっちも強いぞ、とくに五郎はむちゃくちゃ強いぞ。まだ元服前の、でも体は大きい強力のやんちゃぼうす。
なのでキャラクター的にも題材的にもものすごくお芝居にしやすかったのです。
特に、荒々しくも正義感あふれる、若く美しい五郎のキャラクターは、華やかで荒っぽい江戸歌舞伎にぴったりだったのです。

曽我ものは江戸では本当に人気があり、とにかく、毎年初春狂言は「曽我もの」という決まりでした。
今は歌舞伎といえば新作ものは稀で、昔作られた作品を繰り返し上演していますが、
昔の歌舞伎は伝統芸能でもなんでもねえ、ただの「お芝居」。その都度新作を作りますよ。
江戸には大きい官許の芝居小屋が3つありましたよ。
というわけで、100年以上延々と、毎正月、3つの劇場のために「曽我もの」が書かれました。
もちろん一度出したのと殆ど同じのを趣向を変えてうまく書き換えることが多かったのですが、それにしてもまあよく飽きもせず、と思いますよ。

あと、宝永年間のことですが、富士山が爆発しました。そう、あの宝永新山ができた大爆発。江戸にも杯が積もってそれはそれは大変だったみたいですよ。
あのバクハツは曾我兄弟の祟りだと信じた江戸のヒトビトは、五月のお芝居に魂鎮めのために「曽我祀り」をやって、曽我ものを出しました。まあホントに飽きもせず。

・「曽我もの」の内容、

まあ、「曽我もの」、「敵討ち」のハナシですが、
これは当時の「敵討ちもの」のお芝居全体に言えることですが、「敵討ち」の場面はメインではありません。
そこに至るまでのモロモロの苦労が見せ場です。
「曽我」に並ぶ人気素材の「忠臣蔵」でもそうですが、「討ち入り」がハイライト場面になったのは戦後、映画が作られてからです。
歌舞伎では「討ち入りするぞ〜」と心に秘めながらいろいろがんばるお侍さんたちの様子が見せ場なのです。勘平切腹とか。
むしろ「討ち入り」場面は台本はあるけど出ない、なんてことが多かったのです。

 =「敵討ち」と「曽我もの」について(ちょびっと余談)=
さらに言うと「敵討ち」は今の感覚で言う「復讐」とはかなり違います。
たとえば、子供が殺されても「敵討ち」はできません。
父親、兄、主君などの「家」の中心人物が不当に殺されたときのみ「敵討ち」は発生します。
目的は「復讐」ではなく、不当に殺されたものの無念を晴らすことです。孝とか悌とかの倫理観です。
そして殺したものを倒すことで後に残った年少の自分たちが一人前であることを証明して、家の存続を実現させるのです。
「家の存続」は一族郎党にとって死活問題です。「敵討ち」は、自らのアイデンティティーと周囲の関係者を守るための神聖な戦いです。
「愛するものを殺された、ムカつくから仕返しだあ」という現代的な価値観とはかなり開きがありますよ。

この「敵討ち」についての価値観はまた、鎌倉にはじまり、江戸に続く封建制度の倫理観と美意識の根幹部分と一致すると思います。
そして、この「敵討ち」という美意識の源流になったのが、「曽我兄弟の仇討ものがたり」なのです。
これが鎌倉幕府が出来た翌年のできごとだったこと、執政者源頼朝の公的な裁きによって事件に決着が付けられたことはたいへん大きいポイントだと思います。

江戸のヒトビトにとって「曽我」は、ただの「がんばって悪い奴をやっつけた兄弟のものがたり」ではなく、
彼らの生きる封建社会の根元的な美意識の象徴であったと思います
(少なくともワタクシは封建的価値観を前近代的で野蛮だとは微塵も思いませんよ)。

鎌倉時代は、封建社会制度の創世記です。
江戸時代の意識では、鎌倉時代が「現実の世界のはじまり」であり、平安以前は「神話の時代」だったと思います。
頼朝は当時、「神」として意識され、あがめられていました。
「平家」は滅びた「古い時代の神」であったでしょう。そして「義経」は、新しい平和な時代には必要ないために新しい神「頼朝」に殺された、「戦神」だと思います。
「曾我兄弟」は、新しい秩序の象徴として生まれた、若い、力強い、荒ぶる兄弟神だったと思います。
江戸のヒトビトは毎正月、その若い神々を劇場で見ることを喜んだのです。

以前、曽我ものの説明をした友人に「正月早々敵討ちなんて血なまぐさい」と言われたことがあるので、
ちょっと現代的なイメージを違うんだよということを説明しておきます。

・「曽我もの」のバリエーション
ああ、だんだん「外郎売」に近づいてきた。
まあ、というわけで、「曽我もの」、とにかくたくさん作られました。
まあその殆どが散逸しましたが、それでもものすごくたくさん残っていますよ。
なのでバリエーションも豊富です。

○敵討ちまでのいろいろな冒険を描く
だいたい弟のやんちゃな曽我五郎が主人公です。市井の誰それに化けていたりします。
そして家の家宝の刀が紛失(ふんじつと読む)しているのを探したりしていますよ。
代表的なのが「助六」です。あと「矢の根」もここに入ります。所作の「草摺引」も入れていいでしょう。
人気者の曽我五郎が派手な衣装で暴れるので、お芝居にしやすいのです。楽しいです。
今回の「外郎売」もこのバリエーションに一応入ります。

○対面
敵討ちの前に兄弟、または兄弟のどっちかが工藤に会います。
工藤は当時の執権、源頼朝の側近です。身分が高いです。周りもえらい大名に囲まれています。
そこにみすぼらしい(衣装はキレイですが、安い服という設定)の兄弟登場、
工藤、「あ、河津五郎の子だ」と気付きます。はやる五郎、止める十郎、
で、だいたい富士の巻狩りの直前なので工藤が「狩りが終わったら討たれてやろう」と言って、その場は何にも起こらずに幕、です。
代表的なのが「寿曽我対面」
「外郎売」も舞台構成はこっちです。「対面」のバリエーションだけど、「冒険」的要素もある、というかんじでしょうか。

○世話場
今は殆ど出ません。人気ねえです。まあ「曽我もの」を通しで出すことも殆どないので出ないのはしかたありません。
「世話場」というのは庶民的な場面、転じて貧乏な場面、という意味です。
曾我兄弟の家来の鬼王が、自分も貧乏なのに兄弟を引き取って世話していろいろ苦労するおはなしです。
妹を廓に売ったりします。
「主君のためにがんばる」のは美談ですが、そこまでやるのか、すげえ。
まあ、あんまり楽しくので出ません。
「世話場」=貧乏な状態、というのは戦前くらいまで一般名詞だったのですが、
その表現の典型的な例証として昔は有名でした。

○討ち入り
一応この場面もあります。主に五月の曽我まつりに出ました。
兄弟が富士のすそ野の工藤の仮屋に忍び込んで、獅子奮迅の大立ち回りです。
その前に死を覚悟している兄弟が別れを惜しむシーンもかっこいいです。
現行上演作品は「夜討曽我狩場曙」が有名。チナミに作は河竹黙阿弥。

○敷皮問答
お兄さんの十郎は討ち死に、五郎は捕らえられて罪人として頼朝の前に引き出されます。
しかし頼朝は父の敵を討った五郎に敬意をはらって、五郎の座っている下に毛皮を敷くことを許します。
下に毛皮を敷いて座っていいのは貴人だけなので、これは破格の扱いです。
頼朝は五郎のののりっぱ様子に打たれて罪を許そうとしますが、五郎はそれを望まず、
工藤の息子のまだ幼少の犬坊丸に首を討たせてやります。

○石段、その他
「曽我もの」を、歌舞伎の定番である「お家騒動狂言」の一部として上演するときに必要な場面です。
だいたい工藤の家にお家騒動が起きていて、ええほうの家臣と反乱派の家臣がいろいろ、で、
ええほうの家臣が↑の世話場で曾我兄弟を助けてくれたりするのです。
「曽我が題材のお家騒動もの」が今通しで出ることはまず絶対ないですが、
絵面がキレイな「石段」や「だんまり」が所作仕立てで出たりするので、基本設定は押さえておこう。

○曾我兄弟とまったく関係ない
…けっこうあります。
タイトルに「曽我」が入ってるだけとか。
主人公が昔は武士、という設定で、チラっと出るお家騒動の筋に曽我がからむけど本筋とは関係ない、とか、
主人公の名前が曽我ものの登場人物から取られているだけ、とか、いろいろ。
ようするに「初春狂言」として出す必要上「曽我もの」じゃなきゃいけない、なのでムリクリこじつけただけ、というものです。
内容おもしろくて当たればオールオッケイ。そのへんはフレキシブルに(フレキシブルすぎです)。
現行上演ではタイトルから「曽我」をはずしているものも多いですよ。

こんなかんじです。数百本も作られつづけた雰囲気が伝わるといいなと思います。



・「外郎売」 解説とみどころ
やっとかい。

といいつつ、これの現行上演のモチーフは有名な「寿曽我対面」ですので、
一応「対面」のだいたいの流れを書きます。なかなか本筋にたどり着かないなあ。
わかってるかたは飛ばして読んでちょ。

舞台にいる一番えらそうなヒト→工藤祐経 曽我兄弟の父親河津三郎を殺した、兄弟の親の敵。

工藤に兄弟を引き合わせる赤い顔のヒト→朝比奈三郎 関東地方の豪族、工藤の家来ではない。
ていうかまわりにいるのは家来じゃなく、工藤の館に来たお客さんの鎌倉大名たち。
その中で工藤がいちばんえらい、ということですからとても華やかな場面です。
最近は朝比奈の代わりに妹の舞鶴が出たり、舞鶴と朝比奈ふたり出たりします。豪華でよし。

真ん中辺にいる美女ふたり、→大磯の虎と化粧坂(けはいざか)の少将、それぞれ鎌倉にあった大きい遊郭の遊女ですが、
当時の高級遊女はたいへんステイタスが高く、教養レベルも高く、大名クラスじゃないと相手にしてもらえませんでした。

で、この美女はお仕事で工藤の館に来ていますが、じつはそれぞれ曽我十郎 五郎の恋人なのです。

朝比奈に呼ばれて花道から曽我十郎(兄)五郎(弟)が出てきます。一応引き出物の島台を持っています。
この衣装が水色(浅葱)なのは、この色が「貧乏なので安い服」を示す約束だからです。見た目キレイな服ですが、
だからこれはみずぼらしいなりで立派な御殿にやってきた若い兄弟、という場面なのです。
浅葱色はまた、若々しさの象徴でもありますよ。若さと貧乏、紙一重。

工藤、2人を見てすぐに、「河津三郎の息子だ=自分が敵じゃん」と気付きます。

いきり立って工藤に詰め寄る五郎、止める十郎、
この場はおめでたい場であり、工藤は館の主人だし、こんな場所で斬りかかってはいけないのです。今日はごあいさつ。
で、兄弟は工藤に杯をもらって帰ることになります。
これはちゃんとした「おもてなし」なので、身分の低いみすぼらしい兄弟に対しては破格の扱いになります。
でも荒事役の弟五郎は、怒ってばっかりです。和事役の十郎おにいちゃんが引き留めます。

で、工藤は頼朝に言いつかった目下のお仕事、富士のすそ野での狩という一大イベントの総奉行(監督)、
これが終わったら討たれてやろうと言って、狩り場への通行手形(切符)を兄弟に渡します。
 
これがもともとのカタチです。
現行の「外郎売」はこれを変形させたものなので、原型を一応把握していないとお芝居の雰囲気がわかりにくいと思います。

ていうかですね、ワタクシ前回の上演、おととしの海老蔵襲名に行き損ねて悔しいので「外郎」解説サイト作ったんですよ。つまり前回の見てません。
その前いつ見たか、昭和60年の団十郎襲名です。古。
その前は55年の十一代目団十郎追善興行です。いくつだよジブン。
というわけで古い記憶と資料に頼っております。すまん。

この「外郎売」という舞台自体、今の団十郎さんが今のカタチに「復活」させたものですので、昔から決まった「型」が伝わっているわけではありません
(「対面」の「型」と踏襲している部分はありますが)。
なので↓に書いたのと違う演出が多々あるかもしれませんがそのへんは許してちょんまげ。
例えば今回、もとは曽我五郎ひとりのモノがお兄ちゃんの十郎も出るようです。いつからこうなの?おととしから?
このへんも「五郎の冒険」というより「対面」という雰囲気が強くなっている気がします。

「外郎売」の舞台は、大磯の廓です。
今は、というか江戸時代にはすでに、大磯は東海道の宿場町のひとつに過ぎませんでしたが、
鎌倉時代はとうぜん、政治経済の中心は鎌倉にあったわけで、大磯は一大歓楽街でした。
だからイメージは吉原の高級遊女屋です。
「対面」では工藤の館でみんなお祝いしていますが、「外郎売」では大磯の廓で狩りの準備がうまくいったお祝いの宴会をしています。
「舞台が廓」ということでくだけた印象になりますが、ようするに「工藤が宴会やっている座敷」は「工藤の館」に通じるのです。

チナミに舞台には廓らしいセットは何にもありません。背景は富士山だし、工藤はなんかえらそうな段に乗ってるし。
これも気持ちは「工藤館」だからなのです。
なんでそうまでして舞台を「廓」にしなきゃいけないかというと、
大道芸人である外郎売りのお兄さんが酒宴の余興に売り文句の口上を言う、という設定じゃないとおもしろくないからです。

あと、江戸初期の芝居小屋は舞台に屋根があって左右に柱があり、柱に演目や役者さんの名前がかかっていました。
そういうアルカイックな雰囲気を「外郎売」の舞台セットは再現していますよ。

さて、そういうわけで工藤、「大磯の虎」や「化粧坂の少将」なんかをはべらせて宴会しています。
出だし、周りのひとたちが工藤の仕事がうまくいっていて頼朝の覚えがめでたいことなんかをセリフで言いますが、
まあちゃんと聞き取る必要はありません。「対面」のフォーマットの踏襲です。

評判の大道芸人「外郎売り」がいるというので面白がって工藤が座敷に呼びます。
これが工藤を敵とねらう曽我五郎なわけです。

「いつもの通り、言い立てをやらしゃんせ」と虎と少将、
これでふたりと兄弟が知り合い(ていうか恋人)なのがバレそうになりますが、
そこは男をだますのが商売の遊女、「いつも廓に来る有名人だから」とごまかします。

で、勧められて口上を言う五郎。
口上の内容については=全訳と解説=見てね。
現代では「外郎売」の口上といえば市川団十郎のセリフなわけですが、初演当時は
こうやって口上を(ここまで長かったかはわかりませんが)言って「ういろう」を売る物売りが実際にいて、江戸の街で評判だったのです。
これはだから流行を取り入れた「時事ネタ芝居」です。
ところで口上では「小田原から大磯を通って江戸に売りに来た」と言っているのですから舞台が大磯なのは変ですが、まあそのへん流して。
ちゃんと考証したら曽我兄弟の時代、江戸の街まだないので(笑)。
ていうか「ういろう」まだ日本にない(ていうかまだ中国、元じゃありません)。

口上終わり

舌がうまく回れば女郎を口説くのにベンリだろうと、工藤にへつらっている茶坊主の珍斎が「ういろう」を一服買って飲みます。
細かく言うとここで「茶坊主」という職業について説明すべきですが、なくてもお芝居はわかるので今回スルー。
全然うまく早口言葉が言えない珍斎、
「薬がまだ効いていないのだから、早く効くように手を打とう」、という五郎。
このへん展開にムリがありますが、とにかく「曽我もの」の筋にしなくてはならないので仕方ありませんよ。
とにかく「打つ」という言葉に自分で反応していきり立つ五郎、「工藤を「討つ」ぞ」というわけです。
今は時期じゃないし、ヒトも大勢いるし、
というわけで止めに入る虎と少将、一緒に踊ってごまかしますよ。
でもやっぱりカッカしている五郎、工藤もとうとう「ああ、河津三郎の息子か」と気付きますよ。
このへんがいちばん「対面」っぽい場面ですね。「対面」の流れがつかめていないと何やってるんだかわからなくなりそうです。
赤い顔のおじさん、五郎の味方の朝比奈や妹の舞鶴が止めに入ります。
今回は十郎も出るので十郎も止めに入りそうですね。
工藤は「狩りのイベントが終わったら討たれてやろう」と言って、絵図面だか通行手形だかを渡します。
終わりです。

「寿曽我対面」もそうですが、工藤は敵役ですが悪役ではありません。座頭のやる、位取りの高いかっこいい役ですよ。
元気いっぱいでガンガン攻めていく五郎の勢いを受け止めて、貫禄で押し返すような柄の大きさが必要です。
五郎の役者さんも大切ですが、工藤がえらそうじゃないと「対面」系の舞台は台無しになってしまいます。



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