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大江戸日傘事情


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元サイトが有料サーバーなのでオーナーが死んだら消えてしまうことに気付き、無料サーバーにバックアップしました。


以前、BBSでいただいた質問です。
興味深いネタなので保存。


質問=江戸時代では坂本竜馬の古郷、土佐では
上士という身分の高い武士は日傘を差してよかったらしいですね。
今の日傘は布製ですが、江戸時代には日傘はあったのでしょうか。
まあ菅笠とかはあったようですがね(^^)
ちょっと、疑問。


日傘はありました。
布のじゃなく、紙製。雨傘ほど防水してなくて、ちょびっと平たいカタチでした。
ただし、「男は使っちゃダメ」でした。
女、子供、医師、僧侶だけ。
そういえば江戸の初期までは駕籠に乗っていい町人は 病人、老人、医師僧侶に女子供、でした。体力的に弱いものですね。
医師と坊さんはインドアなヒトビトだから、カラダを張って生きるのが当然の「男」の範疇に入れなかったと思われます。
駕籠の数が増えたから有名無実化したけど。
江戸時代は西洋的な女性差別、弱者差別の街ではありませんでした。 むしろ弱者保護の街。
むしろ西洋(主にイギリス)の価値観を取り入れた明治以降のほうが、 そういうイミでは未開かつ野蛮。
おいといて、
男は、いわゆるかぶるタイプの傘を使いました。これもまあ。菅製その他、カタチもいろいろ。

チナミに武士が日傘というのは、江戸時代の常識ではとんでもないと思います。
武士は最もたくましい生き物であるべきだったし、
そもそも、「常に両手を開けとく」のがサムライの心得。
闇夜に提灯持つときだって、「左手に持つのじゃぞ」って。
それくらいこだわってたんだから。
土佐という土地の風土には俺まったく詳しくないですが、
勝てば官軍、実体は賊軍、明治政府作ったヒトビト大嫌い。
薩長許さん(笑)。
あの土地の常識は、ヨソでは通用しないだろうと想像します。
理由は、あくまで詳しくないので想像ですが、お国替えで移動する、 殿様付きの、扶持をもらってる武士が少なく、
「郷士(ごうし、変換しねえよ、死語?)」と呼ばれる自分の土地を持った、 土地付きのサムライが多かったんではないかと思います。
武士というのは、扶持を貰うかわりに主君の言うことをきいて忠義を尽くす、のが美意識であり、存在意義、
「郷士」という存在はかなり反則、誰の言うこともきかなくていいでしょ、
当然幕府の秩序をムシして自分たちに都合のいい価値観で 立場の弱いものを苛めますよね。
あそこで行われてたコトが、日本全国の江戸時代におけるスタンダードだと思うのは、 かなり、ムリがあるでしょう。

ハナシ戻って日傘ネタ、
今は日傘は白いのが主流ですが、見た目も涼しいしね、
初期には白い日傘もあったようですが、江戸時代の日傘は 色つきがフツウ。UVカット効果とか、経験的に判断してのことでしょうね。
これは明治に入ってからの記述ですが、

「赤と青の蛇の目のきれいな日傘、白抜きで

天つ風  雲の通い路 吹き閉じよ
乙女のすがた しばしとどめん


と書いてある」

そんなステキなのが使われてたモヨウ。いいな。
さらに晴雨兼用のもあったモヨウ。今とあんまり変わらないですね。
男は使わないってへんも。
男も日傘使いたいよう。暑い。